在学中、もみあげを伸ばし始めた時期に「ルパン」とも呼ばれていた井上尊生くんです。
(卒業アルバムより写真添付→)

現在はジョンズ・ホプキンス大学で細胞生物学の研究室を運営しているとのことで、
世界各地を講演で飛び回っているそうです。
なお、そんな彼が日本に来るタイミングでプチ同窓会2015をやることにしました。
詳しくは本文末で。
まずは、井上くんの近況をどうぞ。
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Q.卒業から20年経ちましたが、卒業からの略歴を教えてください
20年か。今ちょうど40歳になるところだから、筑駒卒業はその折り返し地点だったわけね。折り返し後の20年はこんなかんじ。
東京大学の薬学部に進学後、基礎研究の面白さに魅せられ、引き続き大学院へ。2003年に博士号を取得した後に米国のスタンフォード大学に博士研究員として留学。運良くインパクトのある研究に従事でき、2006年から翌年にかけて就職活動を行い、2008年からジョンズ・ホプキンス大学にて研究室を運営、現在に至る。私生活では、東大で出会った女性と2004年に結婚、2006年長男誕生、2012年長女誕生。この20年間の体重変動に関しては目覚しいものがあり、地球の二酸化炭素濃度のように、指数関数的に増えてきた。ただ3ヶ月前から空手を始めたので、増加速度は若干落ちてきた。
Q.最近の仕事はどんな仕事ですか?
細胞生物学に関する実験ベースの研究。体の構成要素である細胞は、驚くほど精巧でダイナミックであることが最近わかってきた。たとえば好中球などの免疫細胞は、体内に進入した異物を見つけて食べる能力が備わっている。そうした細胞の一見複雑で動的な機能を理解することが目標。生物の教科書に成果が載ることもあり得る。また理解するだけでなく、制御することも目指している。こうした技術を集約することで、免疫細胞の能力をさらに良くしたり、非免疫細胞にも異物を見つけて食べる能力を付与することに成功している。こうした人工細胞を用いて、近い将来に癌細胞を見つけて食べる人工細胞を作成しようと画策している。中学と高校の途中までは勉強にまったく興味がなかったので、貝沼先生の生物も含めて授業はまじめに聞いてなかった。また中学2年で英検に落ちたのは僕とたしか当時「追試王」と呼ばれていたたく侘美だけ。そんな自分が、米国で英語を使って生物の仕事をしているというのは皮肉だ。ふと思い出したが、高校のときは間中が学者になりたいとよく言ってたので、その刷り込み効果もあったか。
Q.今はどんな生活スタイルですか?
子供が生まれるまでは仕事ばかりしていたが、特に二人目が生まれてからは仕事の時間が激減した。その主な理由は自分自身で実験をすることはなくなったから。最近では研究室には9時ころ車で通勤、17−18時頃には家に帰る生活。帰ったら上の子の宿題をみたり、下の子の面倒をみる(=遊ぶ)。夜子供を寝かしつけたあとに研究費の申請書を書いたり、論文を読んだり、イーメールの返事を書いたりしている。研究室にいる間は研究室員と実験結果についてディスカッションをしたり、グループミーティングに参加したり、共同研究者と今後の研究について話し合いをしたり、他大学からの研究者の講演を聴きに行ったりする。ジョンズ・ホプキンス大学はノーベル賞受賞者も輩出した有名な研究機関であることから、世界中の著名な研究者が講演に来る。またこの業界での出世は、どのくらい研究が認知されているかで決まる。たとえば国内で認知されればアソシエートプロフェッサーに昇進し、国外でも認知されるようになるとフルプロフェッサーとなる。なので、いろんなところに出かけて積極的に講演をするのも大事な仕事の一部。今年は日本、韓国、オランダ、イスラエル、台湾、中国などで20以上の講演をする予定。今も実は韓国に向かう飛行機の中。

(研究室のみんなと室内ロッククライミングをしたときの写真。一番右の黄色いシャツで娘を抱っこしてるのが井上くん)
Q.日々の大変なこと、楽しいことは?
研究室には現在12人の研究室員がいる。下は15歳の高校生から上は僕より年上の技術補佐員まで、いろんな国、いろんな文化背景の人がいる。当然性格も千差万別。うつ病になる子もいるし、研究室内でけんかも起きるし、そうしたなかで多種多様な研究員をまとめて、面白い研究をやっていくのはとても大変である。ただとてもやりがいはあり、試行錯誤しなからなんとかうまくやってきたと思う。またその過程で研究室員の成長を垣間見るととてもうれしい。また最近始めた空手が楽しい。庭の芝刈りをいかに効率良くやるか工夫することが楽しい。またその間は他のことを何も考えないという貴重な状態になれることを発見。花子とアンを子供と見始め、今70話ぐらい。次の話が楽しみ。
Q.筑駒時代に印象に残ってることは?
•「ピロティ」、その後この言葉を聞いたことがない。
•トイレが階段のおどり場にあることを強く覚えている。
•マラソン大会の練習で校舎のまわりを走ってるとき、大平とさぼって教室の中にかくれたこと。
•対外試合のときにふざけていて、バレーのコーチから靴でぶたれたこと。それが遠因となってバレーをやめてしまった。中途半端に物事を諦めてしまった例として、いまでもいましめとしている出来事。
•最後の文化祭の立て看板を作ってるときにバンドのメンバー(白鳥、吉原, 谷口)が全然手伝ってくれなかったこと。そして文句を言ったら渋々手伝ってくれたこと。
•寡黙でいつも冷静な歴史の宮崎先生を怒らせたこと。暑い日の授業中に、「あちー、あちー」といってたら、「そんなに暑いならプールに行け!」と怒られた。
•塩谷先生が「私は書家ですが字は書きません」と言ったときに「口だけか」といってしまった。そのあとオフィスによばれて反省文を書かされた。ただそのせいか高校に入ってからも僕のことを覚えていてくれて、フレンドリーにしてくれた。
井上くんの研究室のホームページはこちら↓
http://pages.jh.edu/~inouelab/index.html
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確かに、「ピロティ」って、聞かないねぇ!
と、そこに激しく共感しましたが、中高時代をありありと思い出すことができました。井上くん、ありがとう!
同期がこんなに世に役立つ研究をしてくれていることが嬉しいですね。
みなさんからも引き続き寄稿をお待ちしております!
興味をお持ちいただけたらぜひ高橋の個人メールへご一報ください→takahashimasaoki@gmail.com
さて、今回登場してくれた井上くんが日本に来るタイミングで、今年のプチ同期会をやりたいと思います。
参加人数に合わせて会場を決めたいと思うので、よろしければこちらまでご参加表明お願い致します。↓
締め切りはちょっと先に設定しますが、早めに入力してもらえたほうが助かります。よろしく!
★筑駒42期プチ同期会2015★
■日時:7月8日(水)19:00-
■会場:未定ですが渋谷近辺を予約します。参加人数に合わせて会場確保します。
■会費:未定ですが5000円くらいのつもり。居酒屋でいいでしょ?
■参加表明方法:↓ここから「出欠を入力する」ボタンを押して、フルネームを入れて丸にチェックしてください。
https://chouseisan.com/schedule/List?h=e79deb351c7d445d9cc5b2b74e84264f
■参加締切:6月21日(日)中→6月22日に店を取ります。