2015年05月19日

【近況】井上 尊生_ジョンス・ホプキンス大学 井上ラボ

五大金子シリーズに並行して、とうとう始まりました。「井上シリーズ」第一弾。
在学中、もみあげを伸ばし始めた時期に「ルパン」とも呼ばれていた井上尊生くんです。
(卒業アルバムより写真添付→)
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現在はジョンズ・ホプキンス大学で細胞生物学の研究室を運営しているとのことで、
世界各地を講演で飛び回っているそうです。

なお、そんな彼が日本に来るタイミングでプチ同窓会2015をやることにしました。
詳しくは本文末で。

まずは、井上くんの近況をどうぞ。

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Q.卒業から20年経ちましたが、卒業からの略歴を教えてください

20年か。今ちょうど40歳になるところだから、筑駒卒業はその折り返し地点だったわけね。折り返し後の20年はこんなかんじ。
東京大学の薬学部に進学後、基礎研究の面白さに魅せられ、引き続き大学院へ。2003年に博士号を取得した後に米国のスタンフォード大学に博士研究員として留学。運良くインパクトのある研究に従事でき、2006年から翌年にかけて就職活動を行い、2008年からジョンズ・ホプキンス大学にて研究室を運営、現在に至る。私生活では、東大で出会った女性と2004年に結婚、2006年長男誕生、2012年長女誕生。この20年間の体重変動に関しては目覚しいものがあり、地球の二酸化炭素濃度のように、指数関数的に増えてきた。ただ3ヶ月前から空手を始めたので、増加速度は若干落ちてきた。

Q.最近の仕事はどんな仕事ですか?

細胞生物学に関する実験ベースの研究。体の構成要素である細胞は、驚くほど精巧でダイナミックであることが最近わかってきた。たとえば好中球などの免疫細胞は、体内に進入した異物を見つけて食べる能力が備わっている。そうした細胞の一見複雑で動的な機能を理解することが目標。生物の教科書に成果が載ることもあり得る。また理解するだけでなく、制御することも目指している。こうした技術を集約することで、免疫細胞の能力をさらに良くしたり、非免疫細胞にも異物を見つけて食べる能力を付与することに成功している。こうした人工細胞を用いて、近い将来に癌細胞を見つけて食べる人工細胞を作成しようと画策している。中学と高校の途中までは勉強にまったく興味がなかったので、貝沼先生の生物も含めて授業はまじめに聞いてなかった。また中学2年で英検に落ちたのは僕とたしか当時「追試王」と呼ばれていたたく侘美だけ。そんな自分が、米国で英語を使って生物の仕事をしているというのは皮肉だ。ふと思い出したが、高校のときは間中が学者になりたいとよく言ってたので、その刷り込み効果もあったか。

Q.今はどんな生活スタイルですか?

子供が生まれるまでは仕事ばかりしていたが、特に二人目が生まれてからは仕事の時間が激減した。その主な理由は自分自身で実験をすることはなくなったから。最近では研究室には9時ころ車で通勤、17−18時頃には家に帰る生活。帰ったら上の子の宿題をみたり、下の子の面倒をみる(=遊ぶ)。夜子供を寝かしつけたあとに研究費の申請書を書いたり、論文を読んだり、イーメールの返事を書いたりしている。研究室にいる間は研究室員と実験結果についてディスカッションをしたり、グループミーティングに参加したり、共同研究者と今後の研究について話し合いをしたり、他大学からの研究者の講演を聴きに行ったりする。ジョンズ・ホプキンス大学はノーベル賞受賞者も輩出した有名な研究機関であることから、世界中の著名な研究者が講演に来る。またこの業界での出世は、どのくらい研究が認知されているかで決まる。たとえば国内で認知されればアソシエートプロフェッサーに昇進し、国外でも認知されるようになるとフルプロフェッサーとなる。なので、いろんなところに出かけて積極的に講演をするのも大事な仕事の一部。今年は日本、韓国、オランダ、イスラエル、台湾、中国などで20以上の講演をする予定。今も実は韓国に向かう飛行機の中。
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(研究室のみんなと室内ロッククライミングをしたときの写真。一番右の黄色いシャツで娘を抱っこしてるのが井上くん)

Q.日々の大変なこと、楽しいことは?

研究室には現在12人の研究室員がいる。下は15歳の高校生から上は僕より年上の技術補佐員まで、いろんな国、いろんな文化背景の人がいる。当然性格も千差万別。うつ病になる子もいるし、研究室内でけんかも起きるし、そうしたなかで多種多様な研究員をまとめて、面白い研究をやっていくのはとても大変である。ただとてもやりがいはあり、試行錯誤しなからなんとかうまくやってきたと思う。またその過程で研究室員の成長を垣間見るととてもうれしい。また最近始めた空手が楽しい。庭の芝刈りをいかに効率良くやるか工夫することが楽しい。またその間は他のことを何も考えないという貴重な状態になれることを発見。花子とアンを子供と見始め、今70話ぐらい。次の話が楽しみ。

Q.筑駒時代に印象に残ってることは?

•「ピロティ」、その後この言葉を聞いたことがない。
•トイレが階段のおどり場にあることを強く覚えている。
•マラソン大会の練習で校舎のまわりを走ってるとき、大平とさぼって教室の中にかくれたこと。
•対外試合のときにふざけていて、バレーのコーチから靴でぶたれたこと。それが遠因となってバレーをやめてしまった。中途半端に物事を諦めてしまった例として、いまでもいましめとしている出来事。
•最後の文化祭の立て看板を作ってるときにバンドのメンバー(白鳥、吉原, 谷口)が全然手伝ってくれなかったこと。そして文句を言ったら渋々手伝ってくれたこと。
•寡黙でいつも冷静な歴史の宮崎先生を怒らせたこと。暑い日の授業中に、「あちー、あちー」といってたら、「そんなに暑いならプールに行け!」と怒られた。
•塩谷先生が「私は書家ですが字は書きません」と言ったときに「口だけか」といってしまった。そのあとオフィスによばれて反省文を書かされた。ただそのせいか高校に入ってからも僕のことを覚えていてくれて、フレンドリーにしてくれた。


井上くんの研究室のホームページはこちら↓
http://pages.jh.edu/~inouelab/index.html

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確かに、「ピロティ」って、聞かないねぇ!
と、そこに激しく共感しましたが、中高時代をありありと思い出すことができました。井上くん、ありがとう!
同期がこんなに世に役立つ研究をしてくれていることが嬉しいですね。

みなさんからも引き続き寄稿をお待ちしております!
興味をお持ちいただけたらぜひ高橋の個人メールへご一報ください→takahashimasaoki@gmail.com

さて、今回登場してくれた井上くんが日本に来るタイミングで、今年のプチ同期会をやりたいと思います。
参加人数に合わせて会場を決めたいと思うので、よろしければこちらまでご参加表明お願い致します。↓
締め切りはちょっと先に設定しますが、早めに入力してもらえたほうが助かります。よろしく!

★筑駒42期プチ同期会2015★
■日時:7月8日(水)19:00-
■会場:未定ですが渋谷近辺を予約します。参加人数に合わせて会場確保します。
■会費:未定ですが5000円くらいのつもり。居酒屋でいいでしょ?
■参加表明方法:↓ここから「出欠を入力する」ボタンを押して、フルネームを入れて丸にチェックしてください。
https://chouseisan.com/schedule/List?h=e79deb351c7d445d9cc5b2b74e84264f
■参加締切:6月21日(日)中→6月22日に店を取ります。
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2015年03月12日

【近況】瀬崎隆行_20年をざっくり振り返る。

筑駒在学中、一度は入部したことがあるのではないでしょうか。
「農芸部」。
そう、今回は42期内で最大の入部勧誘数を実現した農芸部部長・瀬崎隆行君です。
卒業からの20年を、質問にこたえる形でしっかり振り返ってくれました。
一太郎とExcelの混在環境の話などは、涙なしでは読めません。

なお、写真は娘さんの生まれたばかりの時の写真ですが、瀬崎のDNAの強さをひしひしと感じます。
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 こにちわー。
 あまり面白いことも無いのだけれども、折角機会を貰ったのでざっくり回顧を懐古しようと思う。
 懐古を回顧しても構わないが、蚕は解雇しない方向で。そもそも雇ってないから。


Q. 卒業から20年経ちましたが、卒業からの略歴を教えてください

 略歴というか、年表っぽくつらつら回顧。

 平成6年。
 一浪。漫画(古本)と中古CDが大量に増えた。

 平成7年。
 大学入った。英語がダメすぎて駒大仏教学部以外全敗したので、自動的にそこ。あと、彼女ができた。今の嫁さん。

 平成8年。
 文学部歴史学科に転部。転部試験の英語は歴史に関する長文だったので、単語をつないだら読めた。英露のグレートゲーム。余裕。

 平成9年。
 3年次になって公務員試験の情報を集めたら、受験資格は年齢だけで、学歴が問われていないことに気が付いた。だからついつい受験して、某地方自治体II類にどうにか引っ掛かった。面接は「なぜ在学のまま受験したのか」と聞かれるのが読めていたので余裕綽々。というか、ペーパーで合格すれば面接で落ちることは無いと勝手に思い込んでいたのも吉と出た。知らぬが仏とは良く言ったものだ。(実際は半分ぐらい落とされるらしい。最近知った。(えー))

 平成10年。
 4年次在学中のまま就職。採用面接の時に「大学は卒論だけなので、業務に支障はありませんよ、ふはは」と言っていたのだが、卒論のためのゼミが金曜午後にありまして、大学と職場と大慌てで走り回って対応を検討。もちろん調整などできる訳もなく、隔週ぐらいで金曜ごとに午後休を取るダメな新社会人の出来上がり。
 ちなみに採用は統計部門。当初は統計実査の方で兵隊として働かされる予定だったらしいが、「ダメな新社会人」だったので急遽課内の管理部門預かりに変更された。どーりで新人研修の最終日に人事係長に詰め寄られたり、配属先の机に可愛らしい文房具がセッティングされていたりしたワケだ。新人女子を迎える所に、変な野郎がねじ込まれていたのね。今思い出しても申し訳ない気持ちが溢れてくる。

 平成11年。
 緊急避難的な配属が明け、部門内の漁業センサス・農林業センサス担当係に異動。隣の席だったお姉様から「1年間いじめちゃったけどめげなかったねぇ」と言われて、いじめられていた事に初めて気付く。おお、単にキツイ人だったのかとばかり、、、えへへ。

 平成12年。
 2000年2月29日に結婚。職場では「ダメだよ、甲斐性も無いのに結婚なんかしちゃ」と大真面目にお姉さま方に説教を食らう。ちなみに大学の同期からは「卒業したら別れるに違いない」と言われていたらしい。ふむ。
 仕事では、農林業センサスの報告書をまるっと作った。ウチの自治体では「マイクロソフト独占はよろしくない」と、ワープロソフトは一太郎、表計算ソフトはExcel、というイビツな標準構成が定められており(当時)、おかげで何度もファイルが壊れた。「メガを超えたら別ファイル」が合言葉。農林業センサスと言えば、内容確認のために松本吉雄宅に電話をかけたのが良い思い出。

 平成13年。
 嫁さんの持病のハナシやらあって、「とりあえずもっと楽な部署に行きたい」と課長にゴネてみたら、課内の比較的ラクな部署に回してもらえた。幸せな一年だった。ちなみにこの係は間もなくして組織改編で無くなることになる。

 平成14年。
 某短期大学分校舎に異動。翌15年との2年間で、下っ端事務職としての基本をみっちり叩き込まれた。IPアドレスの管理に、物品購入や備品管理。脚立担いで女子便所の蛍光灯交換だの、卒業生を装った詐欺に引っ掛かりそうになったりとかetc、etc。とにかく幅広くお仕事。地上5階建ての校舎を脚立担いで走り回ってたら健康的に痩せられた。よかばいよかばい。

 平成16年。
 某福祉系大学企画係に異動。公開講座とICT関連の担当。大学統合セクションの情報担当課長に噛み付いて過ごした一年。「体制」には条件反射で楯突きたくなるのは今も昔も変わらないのよね。造反有理。で、主任試験を受けられる年次になったのだが、まんまと落ちました。小論文の途中で肩を攣ったのが敗因のひとつ。むぅ。

 平成17年。
 某総合大学情報係に異動。情報担当課長に噛み付いていたら、逆に一本釣りされて部下にさせられた。人事って怖いわー。で、情報系には強い方だと思っていた自分だが、定年間際のおっさん(課長補佐級)に全く敵わなくて目から魚鱗。そんなおっさんと組んで課長とは戦闘継続。ならぬものはならぬのだよ。主任試験は今度は合格。係長昇格は希望制(当時)だし、課長以上は管理職試験になるので、自分的にはここで「登りつめた」感じ。よしよし。

 平成18・19年。
 同じく情報係。大学相互の情報インフラ統合に携わる。海を耕すような仕事量で、ほぼ毎日終電で帰る日々。途中から異動してきた課長がやたらに仕事を増やす人で、こちらもやたらに白髪が増えた。メールと電話で休日もお仕事。つか、家で仕事する方が課長に仕事を増やされない分だけ捗るというオチまでついた。
 あ、平成18年はマンション買ったっけ。子供を作るつもりも無かったので、二人でゆとりの70平米。満足。

 平成20年。
 主任昇格後の最初の異動は部門をまたぐことが原則なので、大学を離れて教育委員会へ。学校事務センターのような所で、システム担当・予算担当。元々センターの方で「システム担当ができる人」を探していたらしく、そこにすぽっとハマった異動でした。で、「学校事務の人員を削減し、センターに事務を集約しましょう」という流れで立ち上がった組織なので、学校現場からの怨嗟の声を一身に集める簡単なお仕事。まだ発足間もないこともあり、本庁と学校に挟まれて色々あったのだが、アタシのスタンスは造反有理。学校の声を追い風にムシロ旗を立てて本庁とドンパチ。ならぬものはならぬのだよ、ふはは。そんなこんなで増えた白髪も減りました。人体の神秘ですなぁ。

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 平成21年。
 「子供はいなくてもいいよね」というスタンスを嫁さんに翻されて長女誕生。それならもっと広い家を探したのにー。のにー。ちょうど年間スケジュールの隙間だったので、2ヶ月ほど育児休業を取得してみました。

 平成23年。
 センターの施設担当部門に異動。学校からの修繕・改修要望を取りまとめるお仕事。いきなり震災の後始末。壁のクラック(ひび割れ)や、ひしゃげたエキスパンション(棟の境目に当てられる金属部材)を「どうです酷いもんでしょう」と見せられて、「このクラックなら構造上問題ありませんね」「エキスパンはひしゃげてナンボですよ」と答えてみせる簡単なお仕事。「そちらが思うほど酷くもないのよ」と前提認識の誤解を解いて回ってからがスタートラインで。(もちろん、手当ての不可欠な酷いものもあったけれども、そこまでのものは、むしろ例外な感じで。)

 平成24年。
 某普通高校に異動。古巣の統計部門に帰ろうとネゴっていたら、統計部門から引きが来なかったらしい。でも、内部では異動する方向でネゴが済んでいたので、現職に留まれることも無く、校舎改築中(つまり多忙)の学校に振り分けられた。学校によっては事務室が崩壊している(4人職場で1人抜けたりとか)所もあるのだが、ここは4人職場で皆さん普通に働けている「当たり」職場。でも、保育園の送り迎えには遠すぎたので、近場に異動できるように校長に直訴し、係長昇格を呑む条件で認めてもらえました。折角登り詰めたのにー。のにー。つか、係長昇格自体も希望制から変わっちゃったんだケドね。拒否を明言しない限りは、年次で昇格対象になる。世知辛い時代になりました。

 平成25年。
 某農業系高校に異動。部下無し係長。事務室の次席みたいな位置。24年度も次席みたいな位置だったケド、今回は肩書きもハッキリと係長。で、本校は7人職場なのだが、赴任してみたら事務が崩壊してて笑えた。「普通高校」の事務は定数4名。これに定時制で+1名、職業専科で+1名、複数の専科でさらに+1名。これだけの頭数がありながら、どうにもこれまでが悪すぎた。年度途中で辞めてしまった人が居たり、センター化で8名から7名に減っているのに、センター集約を拒んで全部学校事務で抱えようとしたり、、、。契約台帳が手書きだった時には天を仰いだね。ともあれ、センター契約請求額が消耗品費の20%しかなかった所を、1年で45%まで引き上げた。なんか(センター経験者ということで)センターとの関わりが上手くできていない学校に優先的に配属されている気がしないでもない。仕事人みたいだな。便利屋というか。
 で、この年は嫁さんが更に一転して「二人目も欲しいよね」とか言い出して長男誕生。70平米じゃ狭いってばよ。将来どーすんだよ。ぐぬぬぬ。

 平成26年。
 同校で2年目。いろいろ立て直せたと思ったら年末にNASが壊れ、ありとあらゆるデータが失われた。こんな時どんな表情をすれば良いのかわからないので、とりあえずゲラゲラ笑っておいた。27年はこの惨状を更に立て直さなくてはいけないのだが、今から定数減の噂とか、正規から非常勤へのシフトとか、ナカナカに香ばしい話が流れてくる。さて、アタシの異動はあるかしらん。異動内示って、最終週ぐらいにならないと出ないんだよねー。動きたいような、動きたくないような。はてさて。

Q. 最近の仕事はどんな仕事ですか?
 某職業系高校。農業系と家政系の両方を擁する。卒業後の進路は、専門学校等への進学と、就職とで半々ぐらい。過去にはペニンシュラホテルへの就職を決めた子も。何だかスゴイ。アタシの仕事はそこの事務職。主に予算と契約。今年度は製茶設備の買入れ(国際入札)が目玉と言えば目玉でした。

Q. 今はどんな生活スタイルですか?
 5時に起きて、6時に子供たちを起こして、7時に家を出て、7時15分に子供たちを保育園に放り込みます。夜は21-22時ぐらいで子供たちを寝かせます。家族が寝ている時間が自由時間で、23-26時ぐらいに就寝。週に20本前後のアニメを見てます。最近は「おへんろ。」がお気に入り。

Q. 日々の大変なこと、楽しいことは?
 大変なこと。日々働いた分以上に仕事が増えていく。日々アニメを見ている以上に録画が増えていく。
 楽しいこと。クイズゲーム「魔法使いと黒猫のウィズ」2周年キャンペーン中。食堂経営SLG「悪魔娘の看板料理」新発売。

Q. 筑駒時代に印象に残ってることは?
 恒温器へのイタズラで学年集会。
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2014年08月05日

【近況】金子英介_金子レディースクリニック

今回は、金子宗徳くんに続く五大金子シリーズ第二弾!
前回の在校生との懇親会で「医療」分野をガッツリ支えてくれた開業医・金子英介君です。
いただいた原稿を見て、自分が勝手に抱いていた開業医像がガラッと変わりました。
こんな真摯に命に向かい合っている同期がいるんだと思うと、
自分、もうちょっと頑張れよ、という気持ちになっちゃいます。
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大学を卒業してから9年目の2009年に調布市で自分の産科クリニックを開業して、今年で6年目になります。
医学部に入るころには開業医になるとは想像していませんでした。というより、医学部に入るころには医師たるものがなんなのか全くわかっていなかっただけですが。
大学病院や市中病院での医療に疑問を感じ、理想の医療を目指して開業したものの、すぐに若気の至りと気づき、気づいたときには後戻りできず、、、自分がうまく組織になじめないとはこれもまた想像していなかったことでした。

産婦人科は女性の健康全体をみる診療科ですが、その中でもとくにお産をメインにやっています。
お産はいつ起きるかわからず、うまくいくかどうかもよくわかりません。そのなかで良い結果が出て当たり前、悪い結果が出れば責められる可能性もあります。お産は待機時間が長いため、時間給にすればおそらく一番低い単価になると思われます。そのために医師全体の人数が増える中、お産を扱う医師はどんどん減っています。

それが逆に、私が忙しく仕事ができる理由にもなっているわけですが。


いまの生活スタイルは自宅兼クリニックにほぼ軟禁状態です。
お産がいつ起きるか全くわからないため、基本的にはクリニックから15分以上離れることはありません。ほぼ24時間365日です。
家族のために大きな車を買っては見たものの、使うことはほとんどなくディーラーと駐車場の往復ばかり。服は手術着かユニクロ。買い物は近くのセブンイレブンとアマゾン。

頭はほとんど使わず、体力勝負。
外にジョギングには行けないので、業務用ルームランナーで毎日10qほど走るのを日課としています。

こんな生活が楽しいかと言われるとなかなか難しいですが、それでも
「金子のクリニックで産んでよかった」
と言ってもらえるとそれだけで、まだまだ続けようと思えます。

私自身はそれでよいですが、いっしょに我慢してくれている家族には本当に感謝しています。
息子2人には絶対に継がせないと誓っていますが(笑)

こんな感じでやってます。
ですので、先日の同窓会は久しぶりの「外出」で、本当に楽しかったですし刺激的でした。
またの機会を楽しみにしつつ、今日も家にこもっています。

参考までに金子レディースクリニックです。
www.kaneko-ladies.com
posted by takapachi at 00:05| Comment(0) | トピックス